ツクル喜ビ。(修正版)
2003年5月31日現在勤めている職場の前に勤めていた工場で、
オレは、いわゆる“不良社員”であった。
課長、部長に呼び出されて
説教される事数知れず。
専務に呼び出される事もあった。
金髪で、ピアスをジャラジャラさせ、
ロクに仕事もしていなかったんだから当然だ。
入社式の後の
オリエンテーションだってサボった。
今思うと、とんでもないバカだ。
だいたい、高卒でその会社に就職した理由も、
『学校に、会社説明に来た社長に
一緒についてきた秘書がキレイだったから』
などという、いい加減なモノであった。
「キレイな人がいれば、
仕事なんてどうでもよい。」なんて考えていた。
しかし、その秘書は
埼玉の本社勤務で、福島工場では会えない為、
オレの“不良社員化”はますます進んでいった。
本社が、何県かも知らなかったんだから、
そうとうバカだ。
先輩達には気に入られてラッキーだったが、
上層部の、オレに対する目は
非常に厳しいものだった。
そんなんだから、オレは、チームを外された。
その会社では、大きな機械を何台も
ベルトコンベアで繋いで、全自動で
商品を作る『ライン』というものを
主力商品にしていた。
200人程の社員が、
それぞれのチームに分かれ、
それぞれの『ライン』を作っているのだ。
オレは、その『ライン』を作るための、
10人程のチームから外された。
そして、オレに与えられた仕事は、
小さな機械作り。
会社の主力商品である『ライン』が
1ライン、
だいたい1億〜3億円程の値段がするとして、
オレに任された機械は、1台、80万円。
はっきりいって、利益の少ない、
会社のオマケ商品みたいなものだった。
『ライン』が、全自動で人の力を極力
使わない機械なのに対して、
オレが任された機械は、
オペレーターが機械の前に1人つき、
その都度、スタートボタンを押して
起動させるというもの。
納入先は、主に中国や台湾、
そして、シンガポールやタイだった。
そして、国内では、
知的、身体的に障害を持つ方が
働く作業所のようなところに
納入される事がワリと多くあった。
オレが、その機械を任されて、
第一回目の取引先は、やはり
そんな、障害をもった方が働く作業所だった。
オレが任された機械は、
それまで、オマケ的なものだったから
たいして工夫もなく、ただフツーに動く、
それだけの機械だった。
オレは思った。
『全部変えちまおう。』
技術担当と打ち合わせ、
機械のベースと機械の動力システム以外、
全部変える事にした。
こうなると、面白くて仕方が無い。
バカ社員だったオレも、
1つの事を自由にできるのだから
仕事が面白くてたまらない。
納入先で、この機械で作業するのが
障害を持った方だという事を考え、
機械の更なる安全化と、作業の簡素化を計った
システムにしていく。
図面を見ながら、
メンドクサイ配線を繋いでいく。
プログラムも変え、
ごく簡単な動きで商品ができるように
試行錯誤する。
作業者が、誤って指などを挟まないように
全面をカバーで覆い、
機械本体についていた操作盤を機械から離し、
フットペダルで簡単に操作できるようにする。
足りない部品は、
オレがステンレスの塊を削り出して作る。
機械がうまく動かず、
プログラムを最初から見直す。
徹夜になる事もあったが、
その機械での徹夜だったら
何日でもできる感じがした。
機械が完璧に動いた時は、大喜びだった。
そして、オレはその小さな機械を2台持って
作業所に納品しに行き、作業講習を行った。
講習をして思った事なのだが、
知的障害とはいうけれど、彼等はスゴイ。
物覚えが、モノスゴク早い。
そして、簡単な作業を
いつまでも続けられる忍耐力がある。
「どうですか?」とのオレの問いに対し、
1人の作業者が言った、
「前のより、使いやすいと思う。」という言葉が
オレはたまらなく嬉しかった。
“仕事をするという事は、こういう事か”
そんな思いでいっぱいだった。
その後も、あちこちの作業所に納品に行き、
その度に喜びと
オレの仕事に対する誇りを高めていった。
一番最初にオレが納品した会社では、
その後、追加で5台の機械を買ってくれた。
海外からも注文が相次ぎ、
海外にオレの機械を送り出し、
海外で、オレの名前のついた
機械が動いているのを想像して、喜んだ。
一度、営業担当に、
「あの機械は、
あんまり利益にならないんだよねー。」
などと言われた事があったが、
オレは、
「そんな事の為に
あの機械を作ったんじゃないな。」
と思った。
その後、いろいろあって
オレはその会社を辞めて
ベツの職場で働きだし、それから数年経った。
先日、
今でも、その会社に勤めている先輩に会った時、
近頃の不景気で、大規模なリストラがあり、
業務内容も、
生産する商品も、
一部変わってしまったという事を聞いた。
オレが作ったあの機械は、
オレの後を引き継いだヤツがいたが、
今ではもう、作られていないらしい。
しかし、先輩の話によると、
先輩の知ってる限り、
オレが作った機械に関しては、
オレが会社を辞めた後も
トラブルが1件もなかったらしい。
そんな話を聞いて、
オレは昔が少しだけ懐かしくなり、
ただボーッと考えていた。
今でも、
オレの作った機械は
地球上のどこかで動いているのだろうか。
今でも、あの作業所の方達は
オレの機械を使ってくれているのだろうか。
オレは、いわゆる“不良社員”であった。
課長、部長に呼び出されて
説教される事数知れず。
専務に呼び出される事もあった。
金髪で、ピアスをジャラジャラさせ、
ロクに仕事もしていなかったんだから当然だ。
入社式の後の
オリエンテーションだってサボった。
今思うと、とんでもないバカだ。
だいたい、高卒でその会社に就職した理由も、
『学校に、会社説明に来た社長に
一緒についてきた秘書がキレイだったから』
などという、いい加減なモノであった。
「キレイな人がいれば、
仕事なんてどうでもよい。」なんて考えていた。
しかし、その秘書は
埼玉の本社勤務で、福島工場では会えない為、
オレの“不良社員化”はますます進んでいった。
本社が、何県かも知らなかったんだから、
そうとうバカだ。
先輩達には気に入られてラッキーだったが、
上層部の、オレに対する目は
非常に厳しいものだった。
そんなんだから、オレは、チームを外された。
その会社では、大きな機械を何台も
ベルトコンベアで繋いで、全自動で
商品を作る『ライン』というものを
主力商品にしていた。
200人程の社員が、
それぞれのチームに分かれ、
それぞれの『ライン』を作っているのだ。
オレは、その『ライン』を作るための、
10人程のチームから外された。
そして、オレに与えられた仕事は、
小さな機械作り。
会社の主力商品である『ライン』が
1ライン、
だいたい1億〜3億円程の値段がするとして、
オレに任された機械は、1台、80万円。
はっきりいって、利益の少ない、
会社のオマケ商品みたいなものだった。
『ライン』が、全自動で人の力を極力
使わない機械なのに対して、
オレが任された機械は、
オペレーターが機械の前に1人つき、
その都度、スタートボタンを押して
起動させるというもの。
納入先は、主に中国や台湾、
そして、シンガポールやタイだった。
そして、国内では、
知的、身体的に障害を持つ方が
働く作業所のようなところに
納入される事がワリと多くあった。
オレが、その機械を任されて、
第一回目の取引先は、やはり
そんな、障害をもった方が働く作業所だった。
オレが任された機械は、
それまで、オマケ的なものだったから
たいして工夫もなく、ただフツーに動く、
それだけの機械だった。
オレは思った。
『全部変えちまおう。』
技術担当と打ち合わせ、
機械のベースと機械の動力システム以外、
全部変える事にした。
こうなると、面白くて仕方が無い。
バカ社員だったオレも、
1つの事を自由にできるのだから
仕事が面白くてたまらない。
納入先で、この機械で作業するのが
障害を持った方だという事を考え、
機械の更なる安全化と、作業の簡素化を計った
システムにしていく。
図面を見ながら、
メンドクサイ配線を繋いでいく。
プログラムも変え、
ごく簡単な動きで商品ができるように
試行錯誤する。
作業者が、誤って指などを挟まないように
全面をカバーで覆い、
機械本体についていた操作盤を機械から離し、
フットペダルで簡単に操作できるようにする。
足りない部品は、
オレがステンレスの塊を削り出して作る。
機械がうまく動かず、
プログラムを最初から見直す。
徹夜になる事もあったが、
その機械での徹夜だったら
何日でもできる感じがした。
機械が完璧に動いた時は、大喜びだった。
そして、オレはその小さな機械を2台持って
作業所に納品しに行き、作業講習を行った。
講習をして思った事なのだが、
知的障害とはいうけれど、彼等はスゴイ。
物覚えが、モノスゴク早い。
そして、簡単な作業を
いつまでも続けられる忍耐力がある。
「どうですか?」とのオレの問いに対し、
1人の作業者が言った、
「前のより、使いやすいと思う。」という言葉が
オレはたまらなく嬉しかった。
“仕事をするという事は、こういう事か”
そんな思いでいっぱいだった。
その後も、あちこちの作業所に納品に行き、
その度に喜びと
オレの仕事に対する誇りを高めていった。
一番最初にオレが納品した会社では、
その後、追加で5台の機械を買ってくれた。
海外からも注文が相次ぎ、
海外にオレの機械を送り出し、
海外で、オレの名前のついた
機械が動いているのを想像して、喜んだ。
一度、営業担当に、
「あの機械は、
あんまり利益にならないんだよねー。」
などと言われた事があったが、
オレは、
「そんな事の為に
あの機械を作ったんじゃないな。」
と思った。
その後、いろいろあって
オレはその会社を辞めて
ベツの職場で働きだし、それから数年経った。
先日、
今でも、その会社に勤めている先輩に会った時、
近頃の不景気で、大規模なリストラがあり、
業務内容も、
生産する商品も、
一部変わってしまったという事を聞いた。
オレが作ったあの機械は、
オレの後を引き継いだヤツがいたが、
今ではもう、作られていないらしい。
しかし、先輩の話によると、
先輩の知ってる限り、
オレが作った機械に関しては、
オレが会社を辞めた後も
トラブルが1件もなかったらしい。
そんな話を聞いて、
オレは昔が少しだけ懐かしくなり、
ただボーッと考えていた。
今でも、
オレの作った機械は
地球上のどこかで動いているのだろうか。
今でも、あの作業所の方達は
オレの機械を使ってくれているのだろうか。
コメント