ホームレス。
2003年11月12日ちょっと街を歩った時、
公園などで、丁度、肘掛の高さくらいに
板やパイプで2つ、3つに仕切られた
ベンチを見た事はないだろうか?
あの仕切りは、何の為にあるか解るかな?
残念ながら、肘掛じゃない。
正解は、
「ホームレスがベンチで寝ないように」。
景観を損ねてしまう為。
資本経済の中では
負け組みって事になるのかもしれないホームレス。
仕事を失い、家を失い、路上で生活していて、
オレらはソレを見て眉をひそめ、
時には嘲りの対象にする。
だが、
はたして、オレらに彼らを笑う事はできるか?
オレらと彼らは、何の変りもないんじゃないか?
少しの金を持っている?
家がある?
そんな事、
今の日本でどれくらい信用できる?
オレらは、
たまたま仕事が出来て、
たまたま家があっただけ。
それだけで、
オレらは彼らより一段高いところに
立っている気になるかもしれないが、
実際は、その一段だって、
紙切れ一枚だけの高さじゃないのか?
冬が来て、
寒気団が日本列島をスッポリ包めば
毎年恒例の記念行事みたいに、
「ホームレスが凍死しました」と
ワイドショーが報道する。
でも、死んだ事を報道されるホームレスは
始めの1人や2人。
本当は、
もっと多くのホームレスが凍死しているけど、
報道されないだけなんだ。
なんで?
飽きるから。
後から死んだホームレスは
自分が死んだ事を、
ほんの一握りの人にしか知らされない。
自分が死んだ事だって気付かないだろう。
TVだって見れないのだから。
そう考えれば、
始めのほうに死んだホームレスは
ホームレス人生を
まっとうした事になるかもしれないが、
それじゃいけないだろう。
先日も、日本全国、
沢山の“センセイ”と呼ばれる人が立ち上がって、
その中から、選りすぐりの“センセイ”達が
胸にバッチをつける事になった。
その“センセイ”達は、
針のトんだレコードみたいに口を揃えて
「住みよい街づくり」
「平等な社会をつくります」
そんな事ばっかりを言っている。
実際には、
ベンチに仕切りを入れているのに。
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