今年ノ話。
2003年12月31日今年も、我が家ではいろんな事があったけど、
その中でも一番の重大ニュースといえば
父が職を失った事だろう。
今年の夏、
父が長年勤めてきた会社が閉鎖された。
長引く不況は、小さな会社など
あっという間に飲み込んでしまう。
とある夏の日曜日、
オレに、「話がある」と言って来た父が
涙ながらに会社の閉鎖を伝える父の姿は、
今でも忘れる事が出来ない。
父は、悔しかったのだと思う。
30年近くも勤め上げてきた会社が、
突然、明日から無くなるのだから、
どうしようもなく悔しかったのだと思う。
父があれほどまでに泣く姿を、
オレは初めて見た。
父の突然の失職は、
ウチの家庭の中を大きく変えた。
父の収入がなくなるワケだから、
当然、オレの収入は殆ど全部、
家に入るようになる。
ウチには、それなりの貯えがあったが、
それでも家族が皆、生活を切り詰め、
食卓に並ぶ皿の数も少なくなった。
今すぐに家計がピンチになる事はなかったが、
将来的な不安を考えると、
その頃のオレは、かなりまいっていたように思う。
これから先、自分の力でやっていけるのか?
老いていく両親を
養い続けていく事はできるのか?
そんな事ばかりを考え、不安になっていた。
父は、失職してからしばらくすると、
59歳にして就職活動を始めた。
毎日のようにハローワークに通い、
時には、知人のツテを頼った。
年齢的なものもあるので、オレと母は、
後の人生はゆっくりしてもらってもいいと考えたが
父は就職活動を続けた。
そして数ヶ月後、工事現場の仕事を得た。
今まで、屋内で図面を描いていた父が
屋外で、ヘルメットをかぶる仕事についた。
それからというもの。
父は毎日、楽しそうに職場へ向かう。
休日に出勤したり、
県外の現場に向かう為に
早朝に家を出る事もあるが、
それでも父は、楽しそうに職場へ向かう。
時には、
「今日は発破(ダイナマイト)の現場だった」と
ダイナマイトの爆発の瞬間の様子などを
事細かに説明してくれる。
職種ではなく、
“働く事”自体を楽しんでるような、
そんな感じだ。
そんな父を見ていると、ある言葉を思い出す。
それは、
オレが、寝たきりになった祖父に
最後に会った時に、祖父が言った言葉。
祖父が、オレに最後に伝えてくれたメッセージ。
その言葉を、父も、
親である祖父から聞いていたのではないか。
父は、その祖父の言葉を、
小さい頃から聞かされて育ったのではないか。
祖父は、もう、ずぅっと前に亡くなったけど、
父の中には、
祖父のその言葉が生きているのではないか。
今のオレは、
その祖父の言葉を守れているか解らないけど、
いつか、その言葉の重みが、
自然に解る日がくるのでは、と思う。
『真面目に働きなさい。
真面目に生きなさい。
真面目に生きていれば、いい事があるから。
だから私は、幸せだったよ。』
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早いもので今年もオワリですね。
今年一年、こんなんを、
一度でも読んでくださった全ての方。
アリガトウゴザイマシタ。
また、
面白い日記を書いて、読ませてくれた沢山の方。
アリガトウゴザイマシタ。
全ての人にとって、
来年がヨイ年でありますよう、
うわべだけお祈りしています。
それではみなさん、
ヨイ年をお迎えください。
アハン。
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暫く更新のなかった方を
整理させていただきました。
すみません。
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・突然ですが。
【今年のいやらしい言葉言いおさめ】
ぬぷっ
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