太鼓。

2004年1月10日
 
 
先日、
久しぶりにゲーセンなんぞに行ってみた。
 
久しぶりすぎて、見慣れないゲームに
いちいち興味をソソラレテいたのだが、
中でも、画面に合わせて
太鼓をドンガドンガと叩くゲームに
特に興味をそそられて、オレは、 
一心不乱に太鼓を叩いている少年の姿を
しばらく見ていた。
 
そして、その少年の姿を見ながら考えていた。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
『太鼓』という楽器は、バカである。
 
皮をはった筒をドンガドンガドンガドンガ。
 
どうにもバカっぽい。
 
いや、正確に言えば、
太鼓を叩いている人間がバカっぽい。
 
だが、ここで言う「バカ」とは、
決して、人を蔑む「バカ」ではなくて、
むしろ、喜ばしい「バカ」だ。
 
解り易く言えば、その「バカ」は
アントニオ猪木が「バカになれ」と、
いつまでも言ってるようなバカっぽさ、
そして、その「バカ」になった状態の事に近い。
 
太鼓という楽器は、
どうにも、その「バカっぽさ」を感じさせる。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
なぜだろうと考えると、そこには、
『血』が関係しているような気がする。
 
おそらく人間は、
太古の昔、まだ、『太鼓』という楽器が
存在しない時代から、
もしかすると、まだ、言葉さえも存在しない
原始の時代から、
喜び事などがあった時などには、
石や木を打ち鳴らし、
その、喜びを表現していたのではないだろうか。
 
そして、その石や木の音に合わせて
身体を激しく動かし、喜びを表現して
己の精神と肉体を解放していたのではないか。
 
精神と肉体を解放した状態、
時を忘れて、ただ流されていく状態、
それこそ、「バカ」になるという事である。
  
それがやがて、『祭』となり、
打ち鳴らしていた石と木の音が
『太鼓』と『リズム』となる。
 
自分達人間が、祭の太鼓の音を聞くと、
どうしようもなく興奮を覚えるのは、
その身体に流れる血の一部に、
太古の昔に「バカ」になっていた記憶が
残っているからであり、
その記憶が、太鼓の音とリズムによって、
目覚めるからではないだろうか。
 
そして人間は、
その祭の中に自らも飛び込み、
あるいは、その祭に少しでも近い所で見物し、
その太鼓の音にただ己の身体を預け、
精神と肉体を解放するのだ。
 
「バカ」になるのである。
 
きっと、太鼓という楽器は、
人間を「バカ」にする為の、一つの鍵なのだ。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
そんな事を考えながら
一心不乱にゲームの太鼓を打っていた少年を、
「バカっぽいなぁ」なんて見ていると、
やがて、その少年は太鼓を打つバチを置いた。
 
そのゲームに飽きたのか、
もしくは、資金が無くなったのか、
その少年は、バチを置いてこちらに振り返った。
 
小学校5、6年生という所だろうか。
 
髪はボサボサ。
 
分厚い眼鏡。
 
ガパッと開いたズボンのファスナー。
 
そして、そのガパッと開いたファスナーからは、
あろう事か、ズボンの中に入れた
シャツの裾がピョロッと出ていた。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
彼は正真正銘のバカだったのかもしれない。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
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●KONNIE様。
 
登録アリガトウゴザイマス!!
只今、こちらのリンクがいっぱいなもので
相互できずに申し訳ありません。
くだらん日記ですが、よろしくお願いします!!
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

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