高知競馬所属の103連敗中の競走馬、
ハルウララがまた負けて、
デビュー以来、104連敗となった。
1度も勝てない競走馬というのは
競走馬としては失格なのだろうが、
それに反して、ハルウララの人気は負ける度にどんどん膨れ上がり、
ハルウララが出走する日は、
『ハルウララを応援に来た』という人達で競馬場は溢れかえり、
お祭り騒ぎとなる。
しかし、『応援』と言いながら、
そこに集まる人間も、
それを報道する人間も、
それに便乗して金を稼ぐ人間も、
ハルウララが勝つ事よりも
『ハルウララの連敗がどこまで伸びるか』に期待して、
ハルウララが負ける姿に歓声をあげ、
ハルウララが負ける姿を全国に晒す。
果たしてそれを『応援』と言えるか。
サーカスのピエロを観に来ているのと同じじゃないのか。
火事の現場に集まる野次馬と同じじゃないのか。
ハルウララを『応援しにきた』という人は口を揃えて、
「負けても負けても走り続けるハルウララの姿に感動した」
と言う。
しかしそれは、『人間が走らせている』のだ。
人間が用意した舞台でハルウララを躍らせ、
人間が舞台上を見上げて奇声を発しているにすぎないのだ。
人間が用意した舞台の上を走りながら、
ハルウララは何を思っているんだろう。
言葉があったなら、なんと言うんだろうか。
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