こんにちは、ゲルタです。
「いとしさ」に「せつなさと心強さ」と書いて、ゲルタと読みます。
まぁ、それはソレとして。
イロイロ思ったこと。
・『リングを観た』
昨日、TVで放送してたリングを観た。
ハリウッドがリメイクしたことで話題になった映画だけど、
観てみた感想は、「あんま恐くねぇなー」。
なんちうか、うまく説明できないけれど、
昨日放送してた『リング』の恐怖というのは、
なんとも「アメリカ的恐怖」なんだなーって。
なんか、「視覚と聴覚に訴える恐怖」というか。
「日本的恐怖」とはちょっと“質”が違う。
「日本的恐怖」はもっと、心の奥にジワジワ迫ってくるような、
なんというか、うしろめたささえ感じさせるというか。
そして、なんといっても、
「日本的恐怖」には“エロス”を感じる。
「日本的恐怖」は、
どこか奥のほうで“エロス”と密接に繋がってるような気がする。
なんというか、「日本的恐怖」が生み出す映像は、
どこか“秘め事”チックな感覚があるように感じる。
実際に、その映画にエロいシーンが無くとも、
その映画からはエロい、淫靡な雰囲気が漂ってくるように感じる。
その淫靡な雰囲気に、酔うというか囚われるというか。
「アメリカ的恐怖」は、もっとオープンだ。
「アメリカ的恐怖」に“エロス”を求めるのなら、
ソレは、女性の裸の場面やSEXの場面による、
視覚と聴覚に訴える“エロス”になるワケで、
どこか、「心を刺激される」、
「心を囚われる」という感覚が少ないように感じる。
だから、その“エロス”が無いハリウッド版の『リング』は、
同じような長い黒髪を映し出しても、日本人の心に
後味の悪い感じを残すことが出来なかったんじゃないかな、
そんな風に思うのだけれどどうだろう。
なんだか、何言ってるかわからなくなっちゃったけど、
詰まるところ、“国民性の違い”ってヤツなのかな。
観る人によって、受け止め方は違うと思うけど。
“けばけばしい部屋でボンテージに鞭”よりも、
“畳の上で荒縄に蝋燭”で、そこに、何よりも情緒を求める。
ソレと同じことなのかな。
そう言うオレは、荒縄派です。
・『オマエは何様のつもりだ』
サッカー日本代表の試合なんかを観た後に、
「自分が観る時に限って日本は負けちゃうんだよ」とか
そんなことを言うヤツがいる。
しまいには、「オレが観ると日本は負けるから応援しない」
そんなことを言い出すヤツがいる。
某TV局には、
『幸運の女神の私がリポートに行くと、日本は負けない』という
女性アナウンサーがいる。
ジャイアンツのTV中継でも、
『私が実況をすればジャイアンツは負けない』という
名物アナウンサーが日テレにいる。
競馬でも、
「オレが武豊を買った時は勝たないクセに、
オレが買わない時に限って武豊は勝つんだ」
そんなことを言うヤツがいる。
1つだけ言っておく。
サッカー日本代表も、
ジャイアンツも
武豊も、
オマエを中心にまわっちゃいないんだ。
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●浜乙女様。
「随一」だなんて恐れ入りますー!!
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