人間の脳というのは面白いもので、
1つのモノを複数の人間が見た時、
その複数の人間が
それぞれの目を通して頭の中で認識している映像や情報は、
多少なりとも違いがあるんだそうですね。
複数の人間が同じモノを頭の中で認識した時、
1つの個体を見ているはずなのに、
ソレを見ている人の数だけ、
違う情報がそれぞれの頭の中で処理されている。
「A」という個体を複数の人間が見れば、
それぞれの目を通して頭の中で処理されてる情報は「A’」であって、
その「A」を見た人数ぶんだけ、「A’」は存在し、
また、その「A’」は「A’’」にも「A’’’」にもなりうる。
ただ、その個体「A」が情報として
「カッコイイ」や「キレイ」と言われてるのであれば、
その「カッコイイ」や「キレイ」という情報は先入観となり、
それぞれの頭の中で処理されている「A’」や「A’’」という情報に
「カッコイイ」や「キレイ」といった“枷”となって
その情報を処理している人物の感覚を麻痺させる。
「カッコイイ」や「キレイ」なモノとして受け入れられる。
すなわちソレが、「一般的な見方」になる。
だからね、
オレは、その“枷”を外してみることにしたんです。
その、“枷”を外して言ってみることにしたんです。
先日、本を出版し
サイン会をも開いた
某IT企業の“美人広報”は
“美人広報”と言われるほど
たいして美人でもない。
オレの目を通して頭の中で処理されているあの“美人広報”は、
どちらかといえば、美人と言うよりは、
パーティーグッズのコーナーで売られている
あの半透明なお面にソックリだ。
これが、あの“美人広報「A」”を見た時に
オレの頭の中で処理された「A’」です。
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