僕らの町にまた、サーカスがやってくる。
サーカスが好きだ。
死ぬほど好きだ。
ロープを使った派手なアクション。
何人もの人間が積みあがっていく究極のバランス。
麗しき女性たちの美しいダンス。
獰猛な動物を手足のごとく扱う猛獣使い。
緊張のなか、一時の安心を安らぎを与えてくれるピエロ。
目玉はなんといっても空中ブランコで、
僕たちは呼吸の仕方を忘れたかのように息を止め、
そして、天井を見上げる。
その手がブランコを離れた瞬間には時計の針は遅くなり、
スローモーションになって、
空中で二人の手と手が固く結ばれた時、
僕たちは呼吸の仕方を思い出し、
そして、ありったけの歓声を贈る。
僕は、サーカスが好きでたまらないのだ。
TV局とタッグを組んでは大都市だけをまわる
派手なパフォーマンス集団よりも、
時々、こんな田舎の町にもやってきてくれるサーカス団のほうが、
僕は、好きなのだ。
そして今年も、サーカス団はやってくる。
初めてサーカスを観に行ったのは確か、幼稚園の頃だった。
その時のサーカス団は、広場に巨大なテントを張っていて、
その中で公演していた。
テントの先端にはなにやら旗がはためいていて、
それが、その中にある日常と切り離された
非日常の空間を象徴していた気がする。
とっても怪しいのだ。
そしてその旗は、どこか寂しさの象徴でもあったような気もする。
さすがに今では巨大なテントも張らなくなったけど、
今年もまた、サーカス団はやってくる。
僕の町に、最後にサーカスが来たのは確か、3年前だった。
電柱に引っ掛けられたベニヤに貼り付けられた
サーカス団のチラシを見た時から毎日、心が躍った。
公演日に、会場に早足で向かうと
会場の入り口には金髪のロシア美女が立っていて、
なにやら長い風船を膨らましてはグリグリとねじまわして
ぶきゅぶきゅと音をたてながらいろんなカタチを作っていた。
それを正面からじーと見ていると、そのロシア美女は僕に
「ドッグ」
そういって、ピンクの風船を長々と膨らまし、
そしてぶきゅぶきゅ音をたてながら、器用にグリグリねじまわして、
あっという間にプードルのカタチを作り上げた。
僕が「おおお〜」と感心していると、ロシア美女は
その風船のプードルを僕に向かって差し出す。
僕が、差し出されたその風船のプードルを受け取ると、
彼女は、満面の笑みをたたえながらヘタクソな日本語で、こう言った。
「500円デース」
ええええっ!!
金とんのかよっ!?
・・・・・・
それでも僕は、嬉しかった。
サーカスのロシア美女が作ってくれた風船プードル。
500円なら安いもんだと思った。
ちうか、思い直すように努力した。
プードルを作った彼女はステージの上では、
柔らかい身体をしならせながら、妖しげなダンスを踊っていた。
その姿は、プードルを作ってる時とはまるで別人に見えて、
僕は、瞬間に虜になった。
僕は、サーカスの公演が終ってからの帰り道も
そっとそっと大事にその彼女が作った風船プードルを持ち歩いて、
家まで連れて帰った。
家に帰って、そのプードルをあらためて見た時、
僕の頭の中に、ふと、とある考えが浮かんだ。
「この風船の中って、
さっきの彼女の息が入ってるんだよな・・・」
そんなことを考え出したら、
僕は、どうにもその風船を割ってしまいたくなった。
彼女が魅力的すぎたから、そんなことを考えてしまった。
肺に入れようと思った。
変態じみた考えだけれど、
実際、そう考えてしまったのだから仕方がない。
割ろうと思った。
ロシア美女の息は、きっと甘いのだと思った。
でも、ちょっとだけピロシキ臭いかも、と思った。
しかし、ソレを割ってしまうと、プードルは消えてなくなる。
悩んだ。
割ろうか割るまいか。
美女の息か美女が作ってくれたプードルか。
一晩、
二晩、
三晩、悩んで、迷って、その頃には、
プードルは息が抜けてふにゃりとくたくたになってしまった。
なんだか切なくなってしまった。
・・・・・・
あれからもう3年。
その時間が長いようで短いようでなんとも言えず、
なんだか、頭の中がくしゅくしゅする。
それはきっと、嬉しいから。
それはきっと、心が躍るから。
それは、僕が、サーカスが好きだから。
だから、頭の中がくしゅくしゅするんです。
今年も、僕らの町にまた、サーカスがやってくる。
僕は、それを楽しみに待っている。
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