小サナ冒険。

2007年8月21日 日常
 
 
 
 
 
 
ウチから車で10分。
無人の小さな駅があって、
ウチの祖母の家はその駅前の商店街の並びにあるのだけれど、
その駅前の商店街では毎年夏に1日だけ、ちょっとした祭というか、
ちょっとしたイベントが催される。

わたあめ。
金魚すくい。
チョコバナナ。

車の往来をその時だけ禁止した駅前の通りには
いくつもの露店が建ちならぶ。
電灯と電灯の間にはいくつもの提灯がぶらさげられる。
露店で買ったモノなのか、
はしゃいでいる小さな子供は浴衣を着せられ、
頭には特撮ヒーローのお面が乗せて、若い母親の手を引っ張る。

毎年、そこを通ればそんな風景が見れて、
オレは、どこか昭和の香りを漂わせているその風景に
懐かしさを覚える。

思えば、その祭はオレが小さな頃から行われていたのだから、
もう、30年以上は続いているのだろう。

小さい頃、よく母親に連れていってもらった記憶がある。

いや、厳密に言えば、母親が連れていってくれたのは
商店街に並ぶ祖母の家までで、オレはその後、
毎年決まって、「お祭り見てきな」と
小遣いも持たされずに1人で祭の中に放り出された。
きっと母親は、祖母の家でお茶でも飲んでいたのだろう。
1人放り出されたオレは、浴衣など着ていない。
自分の家が裕福ではないということを、
子供ながらになんとなく感じていたオレは、
少しの淋しさを感じながら、露店を見てまわった記憶がある。
小遣いが無いから金魚もわたあめも手にすることはできずに、
ただただ、大きな水槽の中でゆらゆら泳ぐ金魚を眺めたり、
ただただ、ぐるぐる回って割り箸にどんどん吸い付いていく
わたあめを、じーっと眺めていただけなのだけど、
それでもオレは、その祭が好きだった。

ただ、浴衣の親子とすれ違う時に
少し引け目を感じたことは、今でも覚えている。
 
 
 
 
 
 
 
ある年のこと。

多分、幼稚園が小学校低学年の頃だったと思うのだけれど、
その年も、母親に祭に連れていってもらい、
オレは、いつものように祭に1人、放り出された。
きっと母親は、祖母の家でお茶でも飲んでいる。
今思えば酷い母親かもしれないが、ベツにその頃は、
そんな母親の行動を「そんなものか」と
妙に冷めた目で見ていたような気がする。

オレは、駅前の道路の両側に並んだ露店を
いつものように見てまわった。

金魚すくい。
わたあめ。
特撮ヒーローのお面。
ソレは今も昔も変らない。
ただ、その頃にはチョコバナナというのは
あまり見かけなかった気がする。

その中でオレがもっとも興味を引かれたのはりんご飴。
小さな姫りんごを飴で包んだモノではなくて、
フツーの大きさのりんごをまるごと飴で包んだモノ。

オレはその時まだ、りんご飴というモノを知らなくて、
その露店に並んだりんご飴にすっかり心を鷲掴みにされてしまった。
ベツにただ、りんごを飴で包んだだけなのだけど、
ゲルタ少年の心は、すっかりりんご飴の虜になってしまった。

(あれ、たべたい)

しかしオレは、小遣いを持たされていない。
オレの中には、祖母の家に戻って母親に小遣いをせがんでも、
どうせ無理に決まっているという諦めがあり、
オレは、また、露店を見てまわりだした。
 
 
 
 
 
 
 
駅前の道路は、駅と反対側の端はT字路になっている。
祭は、その、駅からT字路までの間で行われている。

ひととおり露店を見終わったオレは、
ふと、T字路の先が気になった。

(あの先はどこに行くんだろう)

そんなことを考えたオレは、
「あんまり遠くに行かんなよ」という
母親の言葉などすっかり忘れてT字路までふらふらと歩いて行く。
祭にいても、どうせ何も買えやしない。
右と左、そのT字路をどちらに曲がってみようかと少し悩んだ後、
オレは、その駅前通りの先のT字路を、右に曲がって進んでみた。
そこは旧国道だったのだけれど、
子供の頃のオレはそんなモノの存在は知る由もない。
オレは、坂道になっているその旧国道をただ、
1人でほてほてと歩いた。

途中、これから祭に向かうのであろう親子と
何回もすれ違いになる。

いくつもの親子とすれ違うたびにオレは、なんだか引け目を感じて、
早くその場所から離れたいような衝動にかられた。
坂道を走った。
 
 
 
 
 
 
 
坂道をだいぶ登り、
祭が催されている駅前通りから離れると、
祭に向かう親子とすれ違う数も少なくなった。
少しホッとする反面、少し淋しい気持ちにもなる。

オレは、ただ1人、歩道の横に並んだ
灰色の水が溜まった側溝を見下ろしながら
ほてほてと坂道を上った。

(T字路の先には何があるんだろう)

そんな思いで来てみたけれど、ベツに何もない。
少しがっかりしたような、それでいて少し安心したような、
そんな思いでオレは、側溝を見下ろしながら坂道を登った。
 
 
 
 
 
 
 
と、そこでオレは、思いがけないモノを側溝の中に発見した。

お札である。

灰色の水の中に沈んではいたが、
子供オレにもすぐ、ソレがお札であることはわかった。

オレは、悩んだ。

汚い、灰色の水が溜まった側溝である。
その中に落ちているお札。
手を入れて拾うには勇気が要る。

しかしオレは、勇気を出して灰色の水に手を突っ込むと、
その、汚い水に濡れたお札を拾い上げた。

5000円札。

その頃の5000円札は聖徳太子の肖像が描かれていて、
小さなオレはまだ、その人が誰だかは知らないけれど、
「5」という数字と「0」の多さで、
その紙切れが価値のある紙切れだということはすぐに理解できた。

(どうしよう)

オレは困った。

なんせ、そんな価値のあるお札を
実際に自分の手にしたのは初めてといってもよい。
お年玉だって1000円とか500円とかしか貰ったことがない。

なにか、とんでもないモノを拾ってしまった気がした。
だんだん恐くなってきた。
捨ててしまおうか。
でも、ソレはとても勿体無いことのような気がする。
その時のオレには「警察に届ける」という選択肢などはまるで無く、
オレは、その汚く濡れた5000円札をくしゃくしゃに握り締めた。
 
そして走った。

祖母の家に向かって坂道を下った。

早く走る自信はあった。

途中、何人もの人を追い越す。
その度に背中に視線を感じた。

(今、オレに追い越された人は、
 オレが5000円持ってることに気付いてるのではないだろうか)

急に不安になった。

襲われやしないか。
オレが持っている5000円を奪われないだろうか。

不安が大きくなった。
恐くて恐くて堪らなくなった。
 
届けなくては。
母親に届けなくては。

早く祖母の家に!!
早く母親のもとに!!
 
 
 
 
 
 
 
走って走って、
祭を楽しむ人の間をすり抜けて、やっと、祖母の家についた。

祖母の家にどかどかと上がりこむと、
母親は案の定、お茶を飲んでいて、その姿を見た途端、
オレの中の何かが緩んで、オレは泣き出してしまった。

母親は、何か言いながら、オレのところに寄ってきた。

オレは泣きながら、母親にくしゃくしゃになった5000円を渡した。

その時母親が、何て言ったかは覚えてない。
でも、びっくりしていた事は覚えている。
そして母親は、その5000円札を、
窓に貼り付けてシワを伸ばしていたことも覚えている。

そしてもう一つ、覚えている。

ソレは、オレが母親に5000円札を渡した後、
母親は、オレに1000円札をくれたこと。

母親は、窓にオレが拾った5000円札を貼り付けると、
財布から伊藤博文が描かれた1000円札を抜き出して、
「お姉ちゃんには内緒だよ」と、オレにくれたのだ。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
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あれ?

今気付いたんだけど、母親、4000円儲けてないか?
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
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その後、母親に1000円札を貰ったオレは、
その1000円を握り締めて、りんご飴を買いにまた祭に出かけた。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

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