イトという女がいる。
オレがかつて勤めていた職場での同僚。
酒のつまみを買って来いと言ったらプリンを買ってきたり。
職場の制服のスカートにカピカピになったお米がついていたり。
さらにその米を「え〜い!!」と指でピーンとはじき飛ばしたり。
山彦をやろうとしたら山に向かって
「グッドウィルドットビーズ!!」と叫んだり。
早い話が、バカである。
バカ女。
しかも、顔はそれなりにカワイイのにバカであるからして、
なんとも言いようの無い雰囲気をかもし出している。
「残念な女」というかなんというか。
「あ〜、喋らなければなぁ〜」的な残念感。
でも、イトはただの「残念バカ女」ではない。
この女、バカはバカでも、「愛すべきバカ女」なのである。
そんなイトが結婚したのは数年前。
とても温和な性格の旦那と式を挙げ、
オレの家とワリと近いところに新居を構えた。
オレは、こけしを持って新築祝いに駆けつけたりしたものだけれど、
その後はやはり、新婚家庭特有の入っていけなさというか、
「お邪魔しちゃ悪い」的な感じがあって、
自然、オレとイトはそれっきり顔を会わせることはなくなった。
オレは、人妻となったイトともうだいぶ会っていないのだが、
そんな中オレは、ひょんなことからイトの近況を知る。
「イトさん、子供が出来たんですよー」
情報をくれたのは、かつてオレとイトがいた職場に入社、
その後、最近になってオレが勤めてる会社に転勤してきた女、マキ。
昼飯の時間、社食で会ったマキは、言う。
「でもイトさん、病気なんですって・・・」
マキの話によると、イトはめでたく妊娠したのだけれど、
病気のために、出産できるかできないかの状態である、というのだ。
なんの病気かは詳しくは知らない。
女性特有の病気であるならば尚更。
しかも、マキの話によれば、イトは入院してるとのこと。
更に言えばその入院先は
オレがよく入院する大きな大学病院であったりするから、
イトの病状というのが重いものだということが解る。
オレは、あのバカバカしかったイトとの職場生活、
その中でも、常にオレたちと明るく笑っていたイトを思い出し、
今、彼女は苦しんでるのだろうと思うと、
そのギャップになんだかセツナクなった。
それからしばらく。
新たな情報をもたらしたのは、やはり、マキだった。
昼飯時、社食でオレを見つけるなり走ってきた。
「イトさん、子供生まれましたよ!!」
11月の初旬らしい。
「しかも双子ですよ!!」
イト、双子を出産。
そのニュースは、オレにとってとても嬉しいことだった。
双子を出産したことより何より、
まず、病気のイトが無事であったということ。
双子には悪いが、オレはイトの無事を喜んだ。
「ゲルタさんもお見舞いに行ってきたほうがいいんじゃない?」
イトの出産後、マキはすでにイトと双子の顔を見に行ったとのこと。
イトは出産後も、病気の経過観察というかなんというか、
双子共々しばらく入院してるらしい。
オレは、イトが入院してる場所が産婦人科であるからして、
なんとなく躊躇する。
「いいじゃないですか。
産婦人科に男が入ってダメってことはないんですから。
それに、あれだけ仲が良かったんだし」
まぁ、それはそうなんだけど。
「それに、イトさんの赤ちゃん、見といた方がいいですよ?
ケースに入れられて可哀相だったけど・・・
でも、ちっちゃくてカワイイんだから!!」
マキもやはりイトの出産が嬉しいらしく、
興奮した口調で、言った。
「すごいんだから!!同じ顔してんだから!!」
うん。
そりゃぁ、まぁ、双子だからね。
オレは、このマキという女も
イトのバカさ加減が伝染してるんじゃないだろうか、
そう思いつつも、そのマキに勧められるがまま、
イトのところに行く事を決めた。
うまれてからしばらく経つけれど、双子が未だに
ケースに入れられてるというのが少し気になったのだけれど。
病院の前で「いーしやーきいもー」とスピーカーを鳴らしている
焼き芋屋を見て、
「こんな所で売れるの?焼き芋が?」
そんなことを思いながらオレは、病院に入った。
一ヶ月に一度の通院。
通い慣れた病院なのだけれど、オレが足を運ぶ内科とは違って、
産婦人科はやはり、独特の雰囲気があった。
ふんわり柔らかい空気が漂うが、その中には厳しさもある。
「それはきっと、命が誕生するところだからだ」
そんなことを思いつつ、オレは静かに足を運ぶ。
ナースステーションでイトの部屋を尋ねると、
イトが入院してる部屋は
ナースステーションからは離れた場所に位置する部屋だった。
オレは、ちょっと安心する。
ナースステーションから離れてるということは、
イトの病状が安定してる証拠だということを、
繰り返し何度も入院と手術を経験してるオレは知っている。
イトに会ったらなんと言おうか。
素直に「おめでとう」と言おうか、それとも、
昔のノリで「ねー?どこから生んだの?見せてー」とでも言おうか。
イトの部屋に向かいながらそんなこと考えてたら、
自然と涙が出てきた。
どうしてかは、知らない。
部屋をノックする。
返事がない。
もう一度ノックすると、
なかから「はいー」とちょっと甲高い、マヌケな声がした。
紛れも無い、イトの声。
「カギ、開いてますからどうぞー」
中でそんなこと言ってるイト。
オレが「病室にはカギなんか無ぇよ」、
そう言いながら部屋に入ると、イトは振り向いて、
「わー、ゲルタさーん!!」
そう言った。
なんだかいかにもマタニティって感じの病衣を着て、
手には、焼き芋を持っている。
「あ、これですか?
なんか、いーしやーきいもーって聞こえたから。
外まで行って買ってきちゃいましたよ。
あ、ゲルタさんも食べます?」
食いかけをオレに差し出す。
焼き芋がポロポロと崩れる。
要らねぇ。
オレが断ると、イトは、
「えー?要らないんですかー?美味しいのにー」と言う。
石焼き芋が美味いのは知っているけど、
オメーの食いかけだから要らねぇんだよ、と思う。
つーか、オメーは病人じゃねーのかよ、と思う。
外に焼き芋買いに行ってんじゃねーよ。
と、同時に、昔と変らず相変わらずなイトが、ちょっと嬉しかった。
変ったといえば、ちょっとふっくらしたところだろうか。
そのことを言うと、イトは、
「そうなんですよー、ちょっと太っちゃったんですよー」と言う。
「やっぱり、赤ちゃんできると太るんですね」
オレは、そのイトの言葉に
「芋とか食ってっからだよ」と応える。
イトは、双子の赤ちゃんを見せてくれた。
双子は、イトがいる部屋には居られず、
なんだかナースステーションと続いてる部屋で、
二人揃って透明なケースに入れられていた。
そのケースはガラスで囲まれた部屋にあって、
そこに入っていけないオレは、遠くから双子を見る。
頭にピンクのニットキャップを被ってるのを見て、
二人とも女の子だろうか、と思う。
そして、双子がやけに小さいんじゃないのだろうか、
ということに気付いた。
異様と思えるほどに小さすぎるように思う。
しかし、イトはそんなこと気にしてない風に、言う。
「ねー、すごいでしょ?同じ顔してるんですよー、双子って」
双子の顔はよく見えなかったけれど、
自分の子供なのに、他人事のように話すイトを、
ちょっと面白いと思った。
イトは、ガラスに両手をついて顔を近づけ、
「もしもーし、ママでちゅよー」
ガラスの向こうのケースに入っている双子に、
そんなことを言っていた。
ソレを聞いてオレは、うれしいような、寂しいような気持ちになった。
あのイトが。
あのバカなことでお馴染みだったイトが、
今、こうして、人の親として母性を発揮している。
ソレは喜ぶべきことなんだろうけど、何か寂しい。
オレは、ケースに入ってる双子を見て、
あの子たちはどうしてケースに入れられてるのだろう、と思う。
きっと、何かしらの理由があってケースに入れられてるんだろうし、
それは、あの身体の小ささに深く関係してるのだろうけれど、
そのことをイトに尋ねてもいいものだろうかと、悩む。
すると、イトの方からボソッとした声で言ってきた。
「あの子たち、病気があるかもしれないんです」
やっぱり、そういうことなのかと、オレは思う。
なんだか大雑把にイトが説明してくれたけれど、
ほとんどまともには聞いてなかった。
涙が出て仕方がなかったから。
オレは、お見舞いに来た人間が泣いてどうすんだ、
そう思ったのだけれど、生まれたばかりの命なのに、
すでに何かしらのハンデを背負う可能性がある双子を思うと、
涙が出て止まらなかった。
「どうして泣いてんですか?
あくまでも可能性ですよ、可能性」
見舞いに来た客が、患者に励まされてる。
なんとも情けない光景。
オレが「うん、うん」と頷いていると、
イトは、言った。
「でも、こうして生まれてきてくれたわけですし。
病気があっても無くても、
私はとってもいいことだと思ってますよ」
うん。
まずは双子がこの世に生を受けたことを喜ぶべきだ。
その後のことは、それから考えればいい。
双子がいた部屋から、イトの病室まで歩く途中、
オレは、何を話していいのか言葉に詰まった。
やっと出てきた言葉は「これから忙しくなるな」、
それだけだった。
するとイトは、勤めて明るく振舞っているのか、
それとも、相変わらずバカな感じなのか、あっけらかんと、言う。
「そうなんですよねー、双子ですよ双子。
これからお金とかいっぱいかかりますよー」
オレが「うん、そうだな」と答えると、イトは、言う。
「でねー、ゲルタさん、なんか言いにくいんですけどー」
そして、続けた。
「お祝いとか、くれないんですか?」
出産祝いの催促。
オレが「うん、うん」と笑うと、イトは、更に言った。
「双子だから、2倍でお願いします、ね?」
コメント
ゲルちゃんよ、なんつうかあのなんだ、
いのちってすげえよな。
イロイロ忙しいみたいだけど僕もがんばっております。
お互いがんばろうじゃあありませんか。
歯科助手さん(でしたっけ)、ほんとなんか恋愛小説みたいで
いいわねえ〜とか思いました。
私読んでるだけでのどの奥がグッってなりましたよ。
双子って一つ分のスペースに入ってるからどうしても他の子より小さくなっちゃうんですよね。。。
それに最近は母体の負担やらを考えて小さく産むのが当たり前だし、イトさんはなおさらですし。。
でも赤ちゃんって大人が思うよりずっと強いですから大丈夫ですよ!
この幸せラッシュ(?)に乗ってゲル兄さんもGO!GO!
母親がイトちゃんで、子供は幸せよ。
大丈夫じゃ。
何だか久しぶりに、ミルクとベビー石鹸の匂いを思い出しました。
経験から申しますが、両親以外に面会が許されているベビーちゃんズですので、命にかかわるような重症ではないと思われます。(私の病院ではそうでしたよ!)
ケースに入ってお帽子を被っているのも、小さいベビーちゃんズは皮下脂肪が少なくて体温調節がちょっと苦手なんだと思います。
イトさんも、ベビーちゃんズが手厚い看護を受けている間に産後の休養を充分に取って、ベビーちゃんズ退院時には万全の体制でお迎えに来られると良いですね。
次にゲルタさんが病院で涙を流すのは、ゲルタベビーちゃんとの対面時がいいです。(気が早いですか!?)
本当に考えさせられますよね。
関係ないですけど、殺人事件とかなんで起こるんですかね。人って分からないもんです。。。
でも、何はともあれ、無事にご出産できて本当に良かったです!!イトさんと赤ちゃんが元気でいてくださることを願っています。
子供から見たら親は最初から親なんだけど、親は子供を育てながら少しずつ親になっていくんですよね。
イトさんはそんなことも笑い飛ばして素敵なママさんになりそうですね。
ゲルタさんは自分の子供だったら、メロメロになりそうですね〜〜^^
おおおお、たまへい様!!
お疲れ様です!!
ほんと、命ってすげぇですよね。
なんかもう、イトの子供たちを見てほんとに思いました。
こんなに小さくても、生きる意志があるんだろうなー、って。
スゴイことですよねー。
やー、ほんと、お互いに頑張りましょう!!
あ、そうです。歯医者の受付上です。
ああいう日記はキライなはずなのに、
どうしてもそういうふうになってしまうんです。
●マルクル様。
お母さんって、ほんと、逞しいですよねー。
なんか、初めてイトを尊敬しました(笑
赤ちゃんもほんと、強いんですよねー。
イトの双子のどちらかの子は、どうやら身体に異変が
あったらしいのですが、それでも、
ああして小さいながらも呼吸してるんですもんね。
なんか、スゲーって思いましたわー。
やや、オレはもう、まだまだです!!
●籐四郎様。
おひさしぶりです!!
オレも、あの双子の母親がイトで、双子は幸せだと思います。
イト、とってもイイヤツですから。
ただ、バカなのが残念なんですけど(笑
きっとイトも、素敵なお母さんになると思います。
●永遠音様。
おおお、そうなのですか!!
安心しましたー。
なんか、イトの子たち、詳しくは解らないですが
心臓になんか問題があったらしく、
その話を聞いたらもう、切なくなってしまいました。
でも、ダイジョブっす。
きっとあの子たちは頑張ります。
や、オレのベビーですか!?
いやいやいやいや、多分、まだまだですよー。
ってか、一生無いかも(笑
●kcat様。
ホントに。
こういう感動というか、そういった命の素晴らしさとかを
感じることがある一方で、殺人事件なんかで
あっという間に命が消されてしまったりするのですよね。
ホント、どうしてなのでしょう。
なんか、悲しいことですよね。
やや、イトに勝手に成り代わって御礼申し上げます!!
ありがとうございます!!
●miyuboe様。
なるほど!!
親は子供を育てながら少しずつ親になっていく!!
なんか、すごい勉強になります!!
そうですよね、人の命を預かることの意味とか重さ、
だんだんと知っていくのでしょうねー。
イトはいいお母さんになると思いますわー。
でも、お米をピーンて飛ばすのは、
子供の前ではやらないでほしいです(笑
や、オレはメロメロになりませんよー。
もう、生まれた瞬間から厳しく行きますから(笑