数年前の年末、友人の奥さんであり、
オレの高校からの友人が交通事故で亡くなった。

友人が運転する軽自動車が
信号に矢印が点灯してから右折しようとしたところ、
対向車線を走る車が
赤信号を見落としたんだか無視したんだか知らないが突っ込んできて、
友人の運転する軽自動車の助手席側に衝突。
その助手席に乗っていた友人の奥さんは
意識不明の状態で病院に担ぎ込まれたが約1週間後に、亡くなった。

突っ込んできた車を運転していたのは、とある大学教授の妻。
その車は最高クラスのベンツ。
突っ込まれた軽自動車を運転していた友人は
鎖骨と肋骨と腕の骨を骨折。
奥さんと同じ病院に入院したのだけれど、友人は、
意識の無い奥さんの傍に付きっきりだったという。
でも、奥さんは、身体をぐちゃぐちゃに潰され、無くなってしまった。
友人はノイローゼになる。
反対に、ベンツに乗っていた相手は怪我一つなかったそうだ。
 
 
 
裁判になった。
何回目かの裁判の時、相手側の弁護士が変った。
その世界では「ヤリ手」と言われるような弁護士。
と、同時に突っ込んできた相手の主張も変った。
 
 
 
「事故が起きたのは、私のせいではない」
 
 
 
それは明らかに弁護士との打ち合わせから出たもの。策略。
赤信号を突っ込んできて本気でそう思っているのなら、
頭がどうにかなってるとしか思えない。
しかし、相手は「私のせいではない」と言い切った。
そして、裁判の途中に、
弁護士は「すでに社会的制裁は受けている」と言った。
ベンツで突っ込んで来たヤツの家族は、
罪の意識から自ら命を絶ったとの話まで出た。
 
 
 
そんな話を友人から聞いて、オレたちは思う。
 
 
 
「家族が命を絶って、それがどうした?」
 
 
 
気の毒だとは思うけれど、
ソレは、自ら選んだ道ではないのか。
けれど友人の奥さんは、選ぶことさえ許されなかった。
亡くなった奥さんの夫である友人や、
その奥さんの昔からの友達であるオレにとって、
これは、交通事故という名の一方的な殺人なのだ。
マワリの人間がいくら自ら死のうとも、だからどうした?
事故を起こした本人は弁護士と打ち合わせをして、
嘘のような発言を繰り返した挙句、のうのうと言ってのけるのだ。
 
 
 
「事故が起きたのは、私のせいではない」
 
 

結局裁判においてその相手は無罪ではなかったけれど、
人を殺したにしてはずいぶんと軽い刑に処せられた。
 
 

その話を聞いて、思うのだ。
 
 
   
弁護士って何ですか?
人を殺しておいて、罪は無かったと心から思っていますか?
裁判が有利だとか不利だとか言う前に、
人が死んだことをどう思いますか?
多額の報酬さえあれば、
人を殺したヤツも人殺しに見えなくなりますか?
それが法律の専門家なのですか?
天秤が描かれたバッヂを胸に付ける度、感じることはありますか?
そこに信念はありますか?
そこに正義はありますか?
「私のせいではない」と言わせた時、
被害者の家族の顔が見えましたか?
どんな顔をしていましたか?
 
 
 
そしてオレたちは思うのだ。
 
 
 
オレたちは法律は知らないけれど、
自分たちの中には譲ることのできないモノがある。 
あんたたちが振りかざす法律を、オレたちは正義と呼ばない!! 
 
 
  
居酒屋で酒を飲みながら、当事者である友人は言う。
  
 
 
「今回は運がなかったんだよ。
 金持ちの車にぶつけられて、
 ムカツク弁護士が出てきて、
 ボンクラな裁判官に当たっちゃったんだよ」
 
 
 
オレたちが
「納得いかない」
「ブッ殺す!!」
そう、口々に言うと、友人は、言った。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
「ありがとう。
 でも、オレはもう疲れた。
 これだけ頑張ったら、ウチの奥さんも許してくれんだろ。
 オレは、子供が大きくなるまで弁当作って、飯食わせて、
 風呂にもいれなきゃいけねぇのよ。金も必要なのよ。
 これだけ頑張ってたら、もう、許してくれんだろ」
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
彼女が亡くなったのは、数年前の12月30日。
翌年の元旦には彼女が亡くなる以前に投函された
友人と奥さんからの年賀状が届いて、
そこに印刷された友人家族の笑顔が
なんだか悲しかったことを覚えている。
 
 
 
友人は言った。
 
 
  
「あー、俺もう、年賀状は一生出せねぇと思うわ。ゴメンな」
 
 
 
その言葉をなんだか悲しく思っていると、友人は、
ソレを察したかのように話題を変えた。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
「はい、この話は終わり!!
 つーか、このチーズ、何?
 ブルーチーズ?
 誰だこんなの頼んだの!!
 前に出て来い、殴ってやる!!」
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
こんな不幸の中にあって、幸いなことは、
友人が元気になったことと、あの事故の時、
後部座席に座っていた2人の子供たちが元気に育っていることだ。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

コメント

マルクル
マルクル
2008年1月6日23:52

ホントにゲル兄さんの友達は良い人ばっかりですよ。
泣いちゃいけないと思ったけど、なんだか泣きました。

redeye-yan
レッドアイ
2008年1月7日2:04

・・・わたしは司法試験じゃないけど、法律の資格試験を受けたことがあります。友人知人で六年や七年かけて司法試験を突破、今年弁護士バッジを正式に着ける予定の人、数人居てます・・・。見たところ、法曹の世界は、一般の感覚とかけ離れた世界だろうなあと思います。て言うか、一般の感覚とかけ離れたぐらいの境地にならないと、あのクソ難しい試験が受からない、そんな感じです。そしてその世界で生きてゆくのも、その境地を多かれ少なかれ維持して行くって言うことなんだろうなあと思います。感覚がマヒしないとやって行けない部分もあるんでしょうが・・・。ゲルタさんの近くで起きた出来事は悲しいです・・・。うちらが思ってるほど、あの手の職業は正義感とか倫理観を持ち合わせた人らばっかりじゃないのが現実です・・・。いかに損をしないか・させないか、って言うことばっかり考える仕事です(はっきり言うと)。少し法律の方に足つっこんだ人間として、考えさせられました。ありがとう。

miyuboe
miyuboe
2008年1月7日10:13

涙が止まりませんでした。
世の中にははっきりとした原因もなく、反省もない犯罪がほとんどのような気がします。
そんな中、正直者が馬鹿をみる。というのも事実だし、
お金が物事を動かすというのも本当に腹立たしいね。
社会的に地位のある人ほど、最初は謝るけど、態度を翻すことが多くあるように思います。
でも、神様は全てご存知です。本当の裁きをされるのは神様です。ゲルタさんのお友達もゲルタさんたちが怒ってくれたから、現実の生活に目が向いたのかもしれません。そうでなければ、恨みから抜け出せずにもがき続けたかもしれませんよ。
よい人が納得いかない形で亡くなる。
神様に文句を言いたくなりますよね。
お友達もお子様達も祝福がもたらされますように!

ゆう
ゆう
2008年1月7日21:04

すごく考えさせられました。

何でもそうだけど、慣れって怖いですよね。
スペシャリストってすごいけど慣れてしまうんだと思います。
弁護士は裁判に、医者は人の死に、消防は火災や救助に、警察は事件に、保育士は子どもに。

自分自身(保育士)を振り返って反省させられました。

友人のご冥福をお祈りいたします。

アヤ
アヤ
2008年1月8日12:41

弁護士にしても、検事にしても、判事にしても、
法の下に真実の追究するというのがあるべき姿ですが、
現実はそうではない。
今日の福岡の交通事故の判決を見てそう痛感しました。

ゲルタ
ゲルタ改
2008年1月8日22:45

●マルクル様。

ありがとうございます。
友人たち、ほんとイイヤツばっかなんですよ。バカですけど。
単純でバカなぶん、イイヤツってことがよくわかるんですよー。
友達でよかったと思っています。
 
 
 
●レッドアイ様。

おおお、お友人に弁護士バッヂをつける予定の方が!!
すげぇ!!
あれ、かなりムヅカシイですよね。スゴイ!!

ああいった世界ってのはやっぱり、
一般とかけ離れた世界になっちゃうのでしょうねー。
それだけ大変な仕事ですし、また、仕事における責任も
重いでしょうしねー。大変です。
自分の感情を抜きにして法律に順じたりするのも、
あくまでもその道のプロで、自分の力を最大限に活かして
仕事をこなしてるワケですしねー。
でも、そんな時にも少しでも葛藤なんかしてくれればなー、
なんて思ってしまったりもします。
 
 
 
●miyuboe様。

最初は謝っても、途中で態度を翻すっての、よくありますよね。
なんか、裁判なんかでも最近、多く見られるようなきがします。
その度に、ほんとに反省してんのか?なんて思います。

イイ人が納得いかないカタチで死んでしまうのは
本当に腹立たしいというか、んんというか。
自然死ならともかく、誰かからなんらかの傷害を受けて
死んでしまうのは、まったく腹立たしいですよね。
なのに、人が死んでしまう事件が多発して、
それが納得いかないかたちで終わりを迎えてしまう。
こういうことを無くすためには、みんながいつまでも
事件や事故によって起こされた悲劇を
いつまでも忘れないようにしなければならないのかもしれない、
なんて思ったりします。
 
 
 
●ゆう様。

慣れは恐いですよねー。
仕事上でも、ついつい油断や甘え、
「手のぬきどころ」を覚えてしまったりするし、
何かあっても、それに対する感情が麻痺してしまったり
するんですよね。慣れによって。
そういうオレも車を運転して16年で、
ほんと、一時の油断でこういった事故をおこさないよう
気をつけねばと思います。
 
 
 
●アヤ様。

福岡の交通事故の判決。
アレは、あの事故を知ってる人なら
誰しもが判決に不満を持ちますよね。
「でも、法律だから」
人を裁くのは軽々しくできるものではありませんが、
それでも、法律の前に見殺しにされてしまう感情を見ると、
なんだか悔しくなってしまいます。

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