小学6年の夏、プールサイドでブッ飛ばされたことがある。
当時28歳の、オレらのクラスの担任だった女教師、
ムッちゃんの足の親指を見て、
「ムッちゃんの足の親指、どうして毛が生えてるの?」
そう言ったら、
“バシッ”“ボコッ”
ムッちゃんにブッ飛ばされた。
「そんなとこ見てないでっ!!」
当時のオレとしてはきっと、
自分には無かった毛がムッちゃんにあったから、
純粋な気持ちで訊いたのだと思うのだけれど、
今思えばその純粋は、教師といえど28歳の女性の
痛いところをグリグリに突いてしまったのかもしれない。
わかんないけど。
そんなことがあったせいか、
オレはそのころ、ちょっとだけ毛というモノに興味を持った。
毛。
毛の役割。
頭に毛が生えてる理由はわかる。
頭を衝撃から守るためだ。
鼻毛は埃などの異物を体内に入れないようにする為だし、
まつげは目に異物が入るのを防ぎ、
眉毛は汗が目に入るのを防いでいる。
毛というのはおおよその場合、大事なところを守っている。
じゃ、腕や足の産毛は?
図書室で調べてみたら、
何かに触れたことをいち早く脳に伝える為のセンサーなのだとのこと。
そして、ソレらが生えてる毛穴は体温の調節を行い、
そこに生えてる毛は、保温の効果も兼ねている。
「じゃ、ムッちゃんの足の親指に生えてた毛は?
アレは産毛じゃなかったぜ?
あの毛はけっこう硬そうな毛だったぜ?」
載ってなかった。
さすがに、「親指毛」とか
「足の親指に生える毛」なんて記述のある本は
図書室には置いていない。
なので、ここは素直に
「どうして足の親指に毛が生えるの?」と、
オレに疑問を持たせた張本人であるムッちゃんに訊いてみたのだが。
「忘れて!!先生の足のことは忘れて!!」
オレの純粋はまたしても、
28歳の女性の痛いところをグリグリ突いてしまったようだ。
なのでオレは、家に帰ってからオヤジに同じ質問をしてみた。
するとオヤジは、
「それは、人間が昔、猿だった時の名残だな」と言う。
「ケツをさわると骨んとこが出っ張ってるだろ。
これは、昔あった尻尾の名残だ」
オレが「なるほどなー」とか感心してると、
オヤジは、言った。
「なんでそんなこと訊くんだ?誰かの足に生えてたか?」
オレは、またムッちゃんをグリグリしてしまってはマズイと思い、
「いや、べつになんでもない」と答えた。
と、急にこんな話を思い出したのは、
偶然、ムッちゃんに会ったから。
病院。
ムッちゃんは入院していた。
毛糸の帽子を被り、以前よりも疲れた感じがしていたが、
それがムッちゃんであることはすぐにわかる。
オレが「ムッちゃん!!」と声をかけると、
ムッちゃんはすぐに、「ゲルタくん!!」とオレに気付いた。
「何?ムッちゃん、何してんの?」
「見ればわかるでしょ?入院してるんだよ」
待合ホールの椅子に、並んで腰を下ろす。
オレとムッちゃんは、昔の思い出なんかを喋った。
「覚えてっかな?
オレさ、プールんときに
ムッちゃんの足の指に毛が生えてるとか言ったら、
ムッちゃん、オレんとこひっぱたいたよね?」
「覚えてるよー。
ああいうことはね、女の人には言っちゃダメなんだよ?
ゲルタくんも大人になったからわかるでしょ?」
「まぁ、なんとなく。
でも、2発もひっぱたくことはないよね?」
「え?先生は1回しかはたいてないと思うけど」
「2発だよ」
「えー、1回だよ」
なんか、そんな話で笑った。
その後しばらくの間、オレとムッちゃんは思い出話をして笑った。
オレが授業中に腹が痛いっつったら
「きっと盲腸だ!!」と
オレを車に乗せて病院まで連れてってくれたこと。
なんかのレクリエーションで、
オレがムッちゃんをおんぶして走ったら転んでしまって、
ムッちゃんが、
「先生のせいじゃないよね?先生が重かったからじゃないよね?」
そう言って慌てていたこと。
ムッちゃんが、バレンタインデーにクラス全員に
手作りのチョコを配ったのだけれど、クラスのみんなには
意外と不評だったこと。
と、そんなことを話してる最中も、オレはずーっと気になってた。
(どうして入院してんの?)
なかなかそのことを訊けなかったのは、
目の前にいるムッちゃんが、オレの思い出の中ムッちゃんよりも
ずっとずっと痩せ細っていたから。
恐かった。
訊くのが正直、恐かった。
でもオレは、どーしても気になって気になって、
恐いのよりも気になる方が勝ってしまって、訊いてみた。
「ムッちゃん、なんで入院してんの?」
するとムッちゃんは、
意外なほどにあっけらかんと、言った。
「ん?ガン」
ん?ガン。
その意外なほどにあっけない答えにオレは正直、とまどった。
そして、それと同時に、「ああ、やっぱり」と思った。
悪い予感ってのは当たるもんだ。
しかしムッちゃんは、根からそうなのか、
それともわざと強がっているのか、こんなことを言う。
「あ、ガンっていったってたいしたことないんだ」
オレは、ムッちゃんのそんな言葉に、なんて答えていいのか困る。
するとムッちゃんは、続けた。
「だいじょぶだいじょぶ、先生は簡単に死なないから」
当たり前だ。
オレの人生に大きな影響を与えた人が、
そんな簡単に死んでしまってはこっちも困る。
オレが「何言ってんの?当たり前でしょ」と言うと、
ムッちゃんは
「昔から生意気だったけど、ますます生意気になったねー」
そう言って、笑った。
そして、
「この帽子もね、
抗がん剤で髪が抜けてきたから被ってるの。困るよねー」
と続ける。
オレが、
「足の親指の毛は?抜けた?」
そう言うと、ムッちゃんは、笑った。
「それは、まだある」
しばらくすると、
ムッちゃんは「検温の時間だから部屋に帰るよ」と言った。
オレが、「じゃ、ムッちゃん、またね!!」と言うと、
ムッちゃんは、言った。
「あのね、
ムッちゃんって呼ぶの辞めてくれないかな?」
オレが「どうして?」と訊くと、ムッちゃんは言った。
「だって、先生、もう50だよ?
ムッちゃんって呼ばれる歳じゃないでしょ?
ソレに先生、
ゲルタくんに先生って呼ばれた記憶が無いんだよね」
確かにオレも、ムッちゃんを「先生」と呼んだ記憶が無い。
オレらの担任をしていた頃のムッちゃんはなんだか若々しくて、
とても「担任」といった感じではなかったから。
なんだか、友達のようだった。
そしてその感じは、今も変らない。
だからオレは、言う。
「ムッちゃんはムッちゃんでいいじゃん」
しかしムッちゃんはそれをなんだか不服そうに
「でもねー、もう50だしねー」
とかなんとか言っている。
だから、オレは、言った。
「じゃ、ムッちゃんが80歳になったら先生っつってやるよ」
ムッちゃんは、笑った。
「あ、でも、オレの方が先に死んでるかもしんないね」
オレがそう言うと、ムッちゃんは
「またそういうことを言うー」
そう言ってまた、笑った。
コメント
先生、良くなってほしいですね。
生と死なんて、ほんとは紙一重なもんなんですよね。
ほんと、kcat様の仰るとおり、隣り合わせなのに
ついつい忘れてしまうんですよね、誰しも。
そして、自分も。
ありがとうございます。
ムッちゃん、きっとよくなると思います!!
50歳のムッちゃんは笑顔の眩しい女性なのだろうなと想像しました。
村上春樹は「死は生の対極にあるのではなく、生に内包されている」みたいな事を書いていました。
誰しも明日はわかりませんがあたしは明日も明後日も生ある限りにくだらなくどーでもいい日記を更新し続けたいと思っています。
ムッちゃんもゲルタさんも早く元気になーれ。
いや本当にね(以下省略されました。
ありがとうございます!!
ほんと、ムッちゃんが早く元気になれば、と思います。
誰しもが明日のことなんてわからないですよねー。
それが悩ましくもあるんですが、
しかし、ソレらを全て受けいれられたら、
そして、それでも笑顔で明日を待っていられたら、
なんか、すげーカッケーと思います。
オレも生があるかぎり更新できたらなーって思いますわー。