【恵方巻き】

節分の日に、その年の恵方を向いて食べる太巻き寿司。
心の内に願い事をしながら黙って食べると願い事がかなうという。
大阪地方の習慣であるが、平成12年(2000)ごろから全国に広がった。
                       (「大辞林」より)
 
 
 
 
 
 
 
 
主に大阪地方の文化だった恵方巻きというモノが
コンビニを媒体として全国に広まったのはここ10年来のこと。
ソレが、コンビニに行くには車に乗らないと行けないような、
そんな山のフモトにあるオレん家にまで伝わるには
ソレからまた数年を要し、オレん家で節分の日にこの
恵方巻きを食べるようになったのは、一昨年からである。
 
 
 
だからですね、慣れてないんですね、恵方巻きに。
節分に恵方を向いて無言で食べるこの恵方巻き、
このルールというかなんちうか、コレに我が家は慣れてない。

一昨年は「よーし、恵方巻き食うぞー」とか言って、
みんな無言で恵方巻きを食べ始めたんだけど、
みんな肝心の「恵方」を忘れ、
全員無言でテレビを観ながら食べてしまったという。

んで、昨年は、恵方巻きをこれまた恵方を向かずに食べ始め、
途中、母親が

「あれ?今年の恵方ってどっち?」

もう、この時点で、
「恵方を向いてない」「喋った」
この2つでアウトなワケで。ツーアウトなワケで。

まぁ、ウチの家族はそんな家族なもんですから、
今年の恵方巻きははたしてどうなることやらと思ってたわけですが。
 
 
 
 
 
 
 
 
そしたら。案の定。
 
 
 
 
 
 
 
 
や、今年はですね、
先に節分の豆まきをしたんですよ。
オヤジがですね、
「鬼はー外ー!!」
「福はー内ー!!」
「鬼はー外ー!!」
「福はー内ー!!」
「鬼はー外ー!!」
そんなん言って豆まいてですね、
それから、恵方巻きにかぶりつくことになったんです。

で、ウチの家族。

気合入ってたんですよ。
恵方巻きを初めて成功させようと気合入ってたんですよ、ウチの家族。
 
 
 
「今年の恵方は?」

「南南東!!」

「はい、南南東オッケー!!」
 
 
 
身体の向きを南南東にセット!!
 
 
 
「いただきます以後は何も喋らないで食べきるように。それでは!!」

「はい、いただきまーす!!」
 
 
 
恵方巻きを食べ始めるウチの家族。
無言ですわ。
家族全員無言ですわ。

(同じ方向を向いた数人が無言で巻き寿司食ってる画というのは
 なんかキモチワルイわー)

そんなこと考えながらオレも、恵方巻きを黙って食ってたんですが。

そしたらその途中、オヤジがイキナリ。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
「あれ?さっきの豆まきん時オレ、福は内が1回少ないよな?
 鬼はー外で始めて鬼はー外で終った気がするんだけど。
 少なかったよな?福は内が少なかったと思わない?」
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
は?何言ってんの?
 
 
 
「いや、鬼は外と福は内は
 同じ回数言わなきゃなんじゃないの?やっぱ」
 
 
 
そんなの、どーでもいいじゃんかよ。
 
 
 
「いや、なんかすっきりしないだろ!!
 同じ数言っておかないとすっきりしないだろ!!
 豆!!豆!!
 ゲルタ、豆持ってきて!!
 福は内が1回足りないから豆持ってきて!!」
 
 
 
なんでオレが豆を持ってくんだよ!!
つーか、今、喋っちゃダメだから!!
黙って食ってる最中だからって・・・・・・あああっ!!
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
喋っちゃった。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
そしたら、ソレを見ていた母親。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
「ははは〜ん、ダメね〜。
 は〜い、2人ともダメね〜・・・・・・あああっ!!」
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
そして今年も、我が家で恵方巻きに成功した者はいなかったという。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

コメント

kaj
kaj
2008年2月4日1:51

この手の「害の無い」タイプの術式の縛りって、あんまし意味がないんです(笑)
アレンジは(例えば、途中で喋ろうが、回数が違って様が)効果に変わりがないってのが、私の認識だったりします♪

そもそも福の神も「隠仁」も、ヒトの考えつく事ができる代物でしかないでしょう?
だから、彼らの言動は実にハッキリしてるんです。
とある謂いでは、福の神が来くれば幸せになるのでも、疫病神が来たから、どうにかなるというお話は間違ってるんじゃないかなぁ?
むしろ、逆なんです。
福の神は、福の神が来ても堪えないほどの「幸福」なヒトの所にしか訪れませんし、同様にして「不幸」なヒトのところにしか疫病神も訪れません。
なんせヒトの想像できてしまう「神=ヒトデナシ」の行動原理はヒトの気の持ちよう次第ですし、彼らを養う事が出来るヒトの所にしか彼らは訪れません(^_^;)
つまり、因果関係は「真逆」なんです。

ご家族がそろって、同じ思いを抱かれるのならば「些細な手順の違い」は、効果に影響は出ないです♪
だから、
私は、せっかくのイベント、ちょっとでも「面白がることが出来たなら」全然、失敗なんかじゃありません。
要は、どこまで行っても「気持ちの問題」ですから♪

...私自身は血縁による「家族」ってのに敬意を表すことはありませんが、自分自身が家族にしたものに不倖(の神)が訪れなければ、それで十分かなぁと思ってます。

ちなみに、二人共に「量」はこなせませんので(流石に、この年になると、一本丸かじりってのは体力的にしんどいですし...笑)略式で「一かじり」にしてます。
また豆まきも部屋の中でやらかすと(外に対しても同じですが)後始末が大変なんで、言葉に出さすに豆をかじる事で十分だとしています♪

できる事をするってぇのが一番大事だと思います。
家族が一緒に季節の変わり目の「祭り」に(十二節の一つ)に同じ思いを抱く事が出来れば、行為そのものは「飾り」です。

...と言う事で、
貴方とご家族に「倖」多き一年でありますように♪

ゲルタ
ゲルタ改
2008年2月4日20:25

●kaj様。

やー。
ウチの家族、たいして意味も求めずにただ、
楽しみたいだけなんです。
なにかに「乗っかって楽しむ」、ただ、それだけで、
その行為の持つ意味やらたいして考えてないんですね。

kaj
kaj
2008年2月5日1:21

はい、それが一番だと思います。
小理屈こね繰り返しても現実は変わらない。
だったら、「楽しければ」とことん楽しむのがベストです♪

マルクル
マルクル
2008年2月5日2:00

太巻き丸かじりって結構つらいですよねw

このイベントは大阪の海苔協会?の人が流行らせたらしいですよ。

家は豆だけでした^^

ゲルタ
ゲルタ改
2008年2月5日9:35

●kaj様。

そうですね。楽しいのがいいですね。
 
 
 
●マルクル様。

ツライですよね、まるかぶり。
そそ、このイベントも商業的な戦略があるんですよねー。
なんか、バレンタイン商戦に踊らされてる感じですわー。
って、ウチの家族もめちゃくちゃ踊ってるんですけど(笑

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